フィジーで暮らす人々との触れ合いの中で。。。最終話 [番外編:フィジー旅行記]
本土は幾分か道が綺麗になってた。でもまぁ、橋はすぐさま造ることはできないだろうけど、あの台風の跡形はなくなっていた。
本土のホテルチェックインを済ませ部屋に荷物をおいて、フロントに頼んでタウンまでショッピングを案内してもらった。もちろん、お土産のコーヒーとミルクと砂糖を買うために。その他、小物やTシャツなんかを買った後、運転手さんとの待ち合わせに時間があったから、ちょっと歩いて市場を散歩してみた。ほんとは観光客があまり行ってはいけないエリアだったらしいが、そうとは知らず、なるべく現地のことに触れてみたかった私は興味心身で町を探索していた。
フィジーはフィジー人とインド人が半々くらいで、母国語以外に英語も使われることが多い。でも、市場などではフィジー語が飛び交っているようだ。普通の町の景色を目に焼き付けておこうと思った。
フィジー最後の夜、ホテルのレストランで現地の人達と英語でおしゃべりした。
やっぱ旅はいいと思った。が・・・
翌朝。。。ベッドメイキングのフィジー人の女の人がポツリと言った。
「チップをもらっても生活は大変よ。」と・・・。
お客の私にそう言われても・・・とちょっと困ってしまいつつ、、私は荷物を持って部屋を後にした。
ナンディ空港はそんなに混んでなくて喉かな感じだった。フィジードルも日本円に両替し直して、気持ちは日本へ向かっていた。
きっとまた訪れる日が来るだろうから、フィジーに軽くバイバイをした。
マナ島を後に。。。 第七話 [番外編:フィジー旅行記]
朝、チェックアウトを終えてビーチに立ち寄ると、トローリングでお世話になった人(マナ島人?)と再会した。真っ黒に日焼けしたその人は、昔、モリが太ももに刺さった傷跡が生々しい海の人。
“サンキュー”と握手を交し合った。
その日は、マナ島に到着した時とは打って変わって、波は穏やかで天気はすっごい快晴っ
安心してマナ島を後にした。
大型船はゆったり進んでのんびり気分デッキに出てみると、遠くにいくつもの小さい無人島が見える。よくマンガに出てくるヤシの木一本の島も見ることが出来たし、真っ白い砂だけの島も、この目に焼き付けたっいつの日か、時間をかけて一つ一つ訪れてみたい。。。
本土が近くなった頃、乗船客の人達がデッキから船の真下の海を覗き込んで騒ぎ出した
見ると、折れた大木やオートバイやなんかがいっぱい流れてきてた
ビックリしたのが、牛がひっくり返ってプカプカ浮いて流されてきたことっ
現地の人いわく、あの3日前の台風で、今頃流れてきたんだろうと。。。(え、どこから・。・?)
残り一泊をフィジー本土で過ごす。。。
マナ島にて 静かに過ごすひととき。。。第六話 [番外編:フィジー旅行記]
次の日は、ビーチでのんびりした。
海を眺めてゆっくり流れる時間が自分を心地よい気分にしてくれる。
風が優しく吹いて木々がざわめく。フィジー人の笑い声。かすかに聞こえる音楽のリズム。
そして、大好きになったコーヒーの味。
『遠い海から来たCOOクー』を知っている方は、クーが海に現れるんじゃないかなと遠くの海を見つめてしまいますよ。
“マナ島を訪れたものは、必ずまた、ここを訪れる”といわれているらしいのですが、いつかまた来るであろうと私も思った。いつかはわからないけれど。。。
マナ島最後の夜、星空を見上げながら夜更かしをした。月の明かりに頼って景色を見渡した。
夜の島の風は少し怖い感じだった。あまりにも静かだったから。。。
フィジーの海にて地球の丸さを知る!第五話 [番外編:フィジー旅行記]
次の日、天気はめちゃくちゃ良かった朝7時にビーチに行ってみると、本土から大型船に乗り換えた時と一緒のタイプの渡し舟が迎えに来てくれてて、さっそくトローリングに出発した
沖に向かう時に見た海と空が一つになった景色に、なんとも心奪われたトローリングなんてどうでもいいと思うくらいだった。(だめだめ、あかんあかんっ^。^トローリングやるよぉーっ!)
そして遠ぉ~くの方に、砂だけの島砂の上に一本だけ生えたヤシの木
あるんだねぇ~ほんとにっ。。。
まるでアニメに出てくるような光景にめちゃくちゃ感動そこに降り立つ自分に再び感動っ
真っ白な砂に透明の海が広がる。水平線が左から右に広がり地球が丸いっていうのがわかる
そういえばトローリングはというと。。。船のスタッフの人が張り切っていて、でっかいの2匹、何の種類かわからないけど、まさに南の島にいる魚をゲットしていたっ
夕暮れ時、海の上から見るサンセットは空に薄い雲が何層もかかり、その合間から見える太陽が海に静かに沈んでいった。最高の景色を目に焼き付けることが出来たっ
それは今も私の人生の中で最高級のものだ
陽気なフィジアンダンスと音楽のリズム♪にのって 第四話 [番外編:フィジー旅行記]
チェックインを終えた私は、マナ島のスタッフに案内されるがまま、ホテルの敷地内のヤシの木だらけの道を歩いた。上を見上げるとちょっとドキドキもんだぜっ、ヤシの実・・・
ところどころにプライベートコテージが建っている。すっごくかわいいっ南の島ぁ~って感じ
マナ島は島まるごとがホテルの私有地なので、海も目の前だし、マリンスポーツもアクティビティも充実してた。とりあえず、部屋に荷物をおいて、散歩した。案内所があったのでそこで明日のトローリングを予約した。レストランの場所も確認したので、その日は夕方遅くまで部屋で休んだ。
そしてまた雨(スコール)が降ってきた。せっかくこんな遠いところまで来たのに、雨だとやっぱり気分はめいる、、、
それでも夕方にはサッとやみ、ディナータイムなのでレストランに向かった。フィジーの伝統料理を食べた。美味しかったちょっといい感じ。
食後に飲んだコーヒーが旨かったっ特にミルクと砂糖がなんとも南の島っぽくて美味しかったので、これはお土産に買って帰ろうと決めていた。
食事の後はフィジーの伝統舞踊が始まった。ケチャというカバの木を搾って作られたお酒のようなもので観光客は皆歓迎される。一緒に踊ってもよしっ歌ってもよしっ
てことで、もちろん見よう見まねで踊った(歌は知らないしねぇ~^0^)これはめっちゃくちゃ楽しかったっ
ブラッ(こんにちはっ)!神秘の島マナ島! 第三話 [番外編:フィジー旅行記]
船の真ん中は広くて、中央にはバーがあって、後はずっと後ろには長いイスが並んでいて、一番後ろはスペースが開いていて・・・そこにはっ!
でっかいアフロヘアーのフィジー人が3人、ウクレレのようなものを片手に歌っていた
それも声高々に・・・この嵐の中・・・
まぁ、それはこんな状況でも、「フィジーは楽しいよ♪」「大丈夫だよ♪」って観光客にアピールしてくれてたのかもしれないと、今は、思える。あくまでも、今は・・・。
しかぁーーーしっ予想通り、船が動き出してからもっと沖に出ると大型船が右や左に海中が見えるほど大揺れで、しかも、バーの棚やカウンターに置かれていたお酒やジュースは薙倒しで、ビンは割れて床がアルコールやジュースまみれで波打ってて・・・まるで映画の難破船いや、難破してもらっては困るっ
船の一階にあるトイレにはとても行ける状態ではなく、みんな袋に吐きまくっていた、、、
いつもなら私もコレだけ揺れたら吐くだろうに、なぜかそれはなかった、というよりビビリ過ぎて吐けなかった?!きっと
でもそこで、「えーーーっ???」と思ったのが、フィジー人はめちゃくちゃ陽気にニコニコスマイルで歌っていたのだった・・・。恐るべし、フィジー人・・・
救いは、船がマナ島に着く頃には、嵐はいおさまっていった・・・。
乗船客はみな、船を降りると同時に道に腰を下ろした。
私もその内の一人であることは言うまでもない。
そこは・・・間違いなく“南の島マナ島”。真っ白な砂浜が広がる、ヤシの木が揺れる、フィジー人が優しく迎えてくれた太平洋に浮かぶ小さな小さな島、マナ島だった。
巨大台風にめげず!マナ島へ出発! 第二話 [番外編:フィジー旅行記]
出発日、日本はいいお天気だった。飛行機の中も快適だった。
しかし、、、フィジーはすごいことになっていたっ
何年かに一度の巨大な台風がやってきたらしく、飛行機の着陸時にも揺れたけど、窓から見た景色はすさまじいものだった。
空港から他の旅行者の人達と乗り合わせたマイクロバスに揺られて、さらに見たフィジーの景色は、降りしきる大雨で道は大洪水、木々も倒れ、しかもフィジー本土の一番大きい橋が、この台風で流されたと大騒ぎになっていた
この地点で、フィジーの印象は最悪のものに・・・。
そんな話が聞こえてきつつ、こんな状況の中、私はフィジー本土の港から船に乗ってマナ島に行かなくてはならなかった。というのもメインはマナ島での宿泊で、本土は帰国前日に一泊となっていたからだ。
案の定・・・港は大荒れで沖の方に人専用の大型船が待機していて、そこまでは木の渡し舟のようなものに乗り合わせなければならなかった。他の観光客もかなり動揺していたが、なんとか渡し舟に乗ったものの右と左に揺れまくって、いつ落とされるかと必死にしがみついていた。大型船に乗り込む際にも、荷物はリュックだったので両手は開いていたから、必死で船をつかんで乗り込んだ・・・。
なんとか船に乗り込み、やれやれと思うのもつかの間、、、次に船の中で見た光景は・・・。
楽園!フィジー諸島へ 第一話 [番外編:フィジー旅行記]
地球儀が大好きな私は、それとなく国の名前を覚えていった。島の名前を覚えていった。
太平洋にはたくさんの小さな国があることを知った。そしていくつもの島々があることも・・・。
確かあれは23歳の頃・・・。タヒチ、ニューカレドニア、フィジーが海外旅行として人気が出てきたときだった。
私がフィジーを選んだ理由。それは、3つの中で一番旅行費が安かったから。
その頃の私は神戸で働いていたものの、そんなにたくさん給料をもらっていたわけでもなかったから、少しずつ貯金をして、バリ島以来2年ぶりの海外旅行を目指していた!
今はインターネットで手軽に調べられて旅行計画が立てられるけど、その当時はやっぱり見るとしたらガイドブック。なのだけど、一冊購入してみたものの、あまり見ることもなく旅行当日となった。